お葬式の現場から

横内です。供養会をお手伝いするようになって、「モノを受け継ぐこと」を以前より意識するようになりました。子どもの服も、友人からお古をいただいたり、小さくなったら差し上げたりしています。

「本の供養をしたいのですが…」

 

ある日、私たちの元に1本のお電話をいただきました。

 

ご依頼主は、創業33年を迎えた、

医療関係の本を主に取り扱う出版社の社長様。

ご供養の対象は、「世に出ることの叶わなかった書籍」

とのことでした。

 

「ただ処分するだけでは本が気の毒で…。普段から仕事の相棒として

お世話になっていることへの感謝を込めて、供養してあげたい」

 

社長様はそうおっしゃいました。中でも特に、

 

「本は我々にとって“生命体”なんです」

 

というお言葉が心に残りました。

 

私たちにとって、「本の供養会」は、今回初めてのご依頼です。

 

しかしこれまで、人形供養会など思い入れのあるお品の供養をお手伝いさせていただく経験を重ねてきました。供養する方に、そのお品との思い出をふり返り、ご自身に与えられたものを心に刻む時間を持っていただくことが、新しい一歩を踏み出すために大切だと感じています。

 

出版社の皆様にとって「本」は、お仕事の相棒。同時に、手塩にかけた作品であり、また生活を支える糧でもあると思います。そこで、改めて「パートナーとしての本」に意識を向けていただける会になればと考えました。

 

当日は、社員の皆様、お取引先の皆様約60人が参列される中、会社の会議室で供養会をお手伝いしました。

開式前から、お葬式のような良い意味での緊張感が空間を満たし、いよいよ定刻に。

最初に、このたびの主役「本」を会社の歴史とともに振り返る映像をお作りし、上映しました。

 

式中、供養をお願いしたご住職の、こんな法話が印象的でした。

「紙などの原料がすべて自然から作られていることを考えると、本もまた命。

自然から生まれ、自然に還っていく、そういった物に対しても

感謝の気持ちを持てること、また物に限らず、

他者のために行動できることは素晴らしいのです」

 

 

私たちは皆様に献花と同時にお手向けいただくものとして、「本のしおり」をご提案させていただきました。

 

そのしおりは、本が発行されるときに使われる注文票です。

そこに社員様お一人お一人から、本に対してのメッセージを書いていただきました。

 

そこには、

「いつもありがとう」

「本に対する愛着が変わりました」

「さらに素晴らしい本になって、また出会えることを願います」

 

など、思い思いの感謝のお言葉が綴られていました。

 

普段とは違う厳かな雰囲気の中、ご自身のお仕事、手がけている製品、またご自身の周りの人や身近な物について、それぞれの方が少し立ち止まり、想いを馳せる。

そんなお時間になっていれば幸いです。


ご葬儀でお飾りするご遺影写真。

ご葬儀後にはどちらへ行くのか、皆様はご存知でしょうか。

まずはご家族のご自宅用に、小さなサイズをご用意してお渡しします。

しかし祭壇にお飾りした大きなサイズは、そのまま私たちの元に残るケースが大半です。

 

そこでアーバンフューネスでは、これらを大切にお預かりし、すべてお寺様にお焚き上げ供養をしていただいております。

 

お焚き上げ供養とは、ご僧侶に読経で供養していただいたのちに、火にくべて天へ還す儀式のこと。長年愛用した思い入れのある道具など、捨ててしまうにはしのびない大切なものに対する最後の礼の尽くし方として、日本では昔から行われてきました。

写真はイメージです

こちらはご供養終了後、お寺様からお返しいただく「お焚き上げ供養報告書」です。

画像をクリックすると拡大します

 

私たちの多くのご葬儀では、思い出のお写真を組み合わせたパネルも無料でおつくりし、式場でご覧いただいております。

「この時、楽しかったね」と思い出を振り返ったり、「おじいちゃんとおばあちゃんの結婚式は、お家で挙げたのよ」とお子さんたちにご家族の歴史を伝えたり。

 

若かりし頃の姿やお仕事場での顔など、ご存じなかった故人様の一面を写真でご覧になり、それぞれの方が想いを新たにされることもあります。

 

1枚の写真から、皆様の会話が広がり、それが故人様を胸に刻むことにつながっています。

ご家族のご了承を得て掲載しております

 

お写真には、たくさんの思い出や愛情が込められています。

たった1枚でも廃棄せず、しっかりとご供養すること。

それが大切なお見送りをお任せいただく、私たちの責任だと考えております。

 


 

植竹です。20代の頃、趣味にしていた料理をまたやろうと、調理器具を揃えました。レシピを見ながら、少し凝ったパスタに挑戦しています。

入社6年目のエンディングプランナー・植竹祐公です。

 

先日、思いがけない方法でお客様に喜んでいただけた後輩がおりましたので、ご紹介させていただきます。

 

私が担当させていただいたご葬儀に、補佐として同行したのは入社2年目の青木香央理でした。青木は打ち合わせから同席し、持ち前のコミュニケーション能力でご家族と打ち解けて、様々な思い出話を聞かせていただいておりました。

 

亡くなったおばあちゃまは、手先が器用な方で、洋裁や和裁で家計を支えた時期があったそうです。

「人に何かしてあげるのがとにかく好き」。

ご家族はそんなおばあちゃまが大好きでした。

青木は「着物が好きで裁縫が得意」という共通点もあって、故人様のエピソードに心を動かされた様子でした。

 

後輩の青木は、得意の裁縫の腕を活かして、「いつか故人様の思い出の品の補強をできたら」という希望を持っていました。

迎えた告別式当日。式場にお飾りした故人様の2着の着物のうち、1着はお棺の中へ納めることが決まっていました。

そして、2着目。

青木は奥様から「誰も着る人がいないの。よかったら青木さん、もらって」と、ありがたいお言葉をいただいたのです。

 

ところが帰宅して着てみたものの、残念ながら袖幅が短く、仕立て直すには裄丈も足りませんでした。

 

「でも、このまま眠らせてしまうのはもったいない」。

そこでふと、青木は思い出したそうです。

「うちのおばあちゃんは、人にものをあげて喜んでいる顔を見ることが好きだった」というご家族のお話を。

 

早速、青木は一念発起。

「おばあちゃまの大切な着物を自分だけが貰うのではなく、ご家族にも継承していただきたい」。そんな想いから針を取り、思い切って着物にハサミを入れました。

 

青木が休日を利用して、お作りしたものがこちらです。

ご家族にいつまでも使っていただけるよう、巾着とティッシュケースを。

そして縁あっておばあちゃまの命の一部をいただいた青木も、自分用にとスカートを。

(携帯撮影のため違って見えますが、同じ着物地です)

巾着とティッシュケースは、お手紙を添えて、ご家族の元へアフターサポートに伺った寺山へと託されました。

 

寺山から渡されたものを見て、ご家族は「(着物と違って)これなら肌身離さず持っていることができる。一生の宝物になった。自分の葬儀をお願いする時は、この巾着袋を棺に入れてほしい」と、感激してくださったそうです。

 

ご葬儀は2日間で終わりではなく、遺された方々に「命を繋ぐ」という大切な使命があります。エンディングプランナーとして、故人様の命、ご家族の想いをいかに形にできるのか、私自身、いつも考え続けています。しかし式場の外で、こんな風に実践することもできるのだと、私は青木から教えてもらいました。


今年33歳になる寺山です。最近、海藻や野菜を食べることが多くなりました。焼肉いこうぜと毎日気軽に声をかけていた十年前を懐かしく感じます。

営業課の寺山広人と申します。 エンディングプランナーとして、ご葬儀を終えられた方の役所手続きや法要の手配など、アフターサポートを担当させていただいております。

最近、取り組んでいることが、ご供養環境の充実です。

弊社では、ご家族、ご住職のご了承をいただいた上で、葬儀中の写真をお撮りし、後日無料でご家族にお送りしております。 アフターサポートでは、その中から厳選した写真をまとめたオリジナルアルバムや、故人様の足跡がわかるパネル作成をご提案しております。

 

写真を見ながらご葬儀を振り返ることで、故人様のことをお話しいただく。そのことが、故人様を偲ぶことにつながる。つまり、充実したご供養環境につながると考えているからです。

 

「お葬式で撮った写真を、後で見返すことなんてあるの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、一組一組、そのご家族らしいお見送りをお手伝いしている弊社では、ご葬儀は悲しいだけではなく、「あたたかく心に残る思い出」として振り返っていただけることが多いのです。

 

あるお客様は、ご葬儀を担当したエンディングプランナーをとても信頼してくださり、「彼が選んだ20枚の写真で作られたアルバムなら見てみたい」という理由から、アルバムをご希望いただきました。

 

また、故人様とご家族、ご親族の絆を表現したパネルを式場にご用意したところ、「親族にも渡したい」と、複数ご購入されたお客様もいらっしゃいます。

葬儀式場にお飾りしたパネルの一例

 

あるいは、「四十九日や一周忌法要で葬儀のアルバムを見れば、みんなで故人を思い出すことができるから」と、ご希望されるお客様も。

 

大切な方を近くに感じられること。思い出を皆様で分かち合えること。そういった、形だけではなく心からのご供養のお手伝いができるよう、これからも精一杯努めてまいります。


入社4年目の長谷川知子です。

 

お見送りの仕方はご家族によって形は違います。

もうすぐ母の日ですが、先日、心に残るお母様とお子様方のお別れに立ち合わせていただきました。

 

故人様は女手一つで2人のお子様の成長を見守っておられました。

昼夜問わず働き、優しいだけではなく厳しく叱るなど、父親の役目も果たしてこられたそうです。

 

自分のことよりもお子様優先。

経済的に苦しくても大学院へ進ませ、お子様が困らないようにと道を示してこられました。

 

息子様は年を重ね、ご結婚。

親になってみて故人様の強さ、優しさを実感したそうです。

打ち合わせでお話をしているときには、涙を流しながら

思い出を振り返っておられました。

何よりも女手一つで支えてくれた母への感謝。

「ありがとうの一言に尽きます」とおっしゃっていました。

 

費用はあまりかけられないとのことから、とてもシンプルなご葬儀。

その中でも気持ちを伝える方法はないかと、先輩に相談しました。

 

通常は、お別れの最後にお棺に出棺用のお花束をのせてお見送りしていただきます。

その花束を小さい花束2つに分けて、開式前にお子様に一つずつお棺の上に手向けていただくことをご提案しました。

 

「感謝を伝える式」。その意味合いを故人様はもちろん、ご会葬の方々にも伝えるためです。

 

花束はお子様が好きな色・花材でお作りし、お花屋さんにお願いして名前を添えていただきました。

 

開式し、花束を手向けていただく時、お子様の口から自然と言葉がこぼれました。

 

「おふくろ、はじめようか」

 

「今まで本当にありがとう」

 

思わず私までもらい泣きしそうになったほど、感情のこもった優しい声でした。

 

こちらから「声をかけてほしい」と依頼はしておりません。

しかしその言葉が、ご親族・ご会葬者の心を惹き付け、式場の雰囲気がかわりました。

全員の気持ちが故人様に向き、今この瞬間にしっかりお別れしておられるのだと感じさせられる時間でした。

 

後でご本人に伺ったところ、開式での言葉は意識して言ったものではなく

「そういえば、そんなこと言ったかも」と覚えておられないくらいでした。

お母様のお顔を見て、いよいよ始まるお別れの時間を前に本当に心から出た一言だったのだと思います。

 

気持ちを伝えることのできる環境をつくること。

それが私にできる精一杯のお手伝いだと実感したお別れでした。

 


以前の趣味は音楽、映画鑑賞がメインでしたが、最近読書です。最近の愛読書は、『整理の習慣』『ディズニーと三越で学んできた日本人にしかできない「気づかい」の習慣』

エンディングプランナーの小野崎敦です。

先日、宮城県の由緒ある葬儀社様より、「東京にいる親戚が亡くなり、宮城で本葬を出す前に東京で荼毘をお願いしたい」というお客様を、弊社にご紹介していただきました。

 

お見送りの日、故人様のご親族3名様が宮城県より都内の斎場に集い、最後のお別れをしていただきました。

 

地域によって様式の異なるお葬式。

 

故人様は東京で30年以上もお仕事に打ち込んでおられましたが、故郷・宮城をとても愛しておられた方だったそうです。そこで弊社エンディングプランナーの平川は、『ふるさとを感じていただけるように』と、できる限り地元のお見送りの仕方に沿った方法でのお別れをご提案しました。

 

まず、小銭を袋に入れてお棺にお手向けします。これは六文銭といって「三途の川の渡し賃」、あるいは向こうへ行ってもお金に困らないようにという願いが込められているそうです。

 

宮城の風習では本物の小銭を使いますが、弊社では旅支度の中に紙に印刷した六文銭をご用意しています。

燃え残ったお金は紙に包んで残された方々がお守りのように持つそうで、東京のお見送りにはご参列いただけなかった皆様にもお持ちいただけるようにとご家族にお渡しいたししました。

また、もう一つの風習として、宮城では一般的な「釘打ちの儀」をしていただきました。こちらは建築関係のお仕事仲間の皆様にもお手をお借りしました。

 

釘打ちの儀とは、こぶし大の石や金槌を使ってお棺の蓋に釘を打つ儀式です。

火葬後、ご事情があり、お骨壺は数日間弊社にてお預かりさせていただきました。

社内に祭壇を組み、お花やお供えものを備え、社員出社時にはお線香を手向けて、ご家族の代わりに数日間お参りをさせていただきました。

 

数日後、再び宮城よりご親戚が故人様宅にお集まりになり、私からお骨壺をお返しいたしました。故人様のご近所の方やご友人も見えて、手を合わせていただくシーンもありました。

 

思い返せば、昨年の東日本大震災の時。

 

私自身、社を代表して宮城県気仙沼市へ、犠牲となった方々のご搬送のお手伝いに数日間うかがったことがあります。言葉では伝えきれない状況を目の辺りにしました。

震災直後でご葬儀があげられない中でも、やはり火葬の前に六文銭や釘打ちの儀式を希望されるご遺族もいらっしゃり、地元の風習に不慣れな中でお手伝いさせていただいた同僚もいました。

 

「他人事ではない。いつ誰がどうなってもおかしくない」という気持ちと、「少しでも残された方の心残りがないよう、何か力になれることはないか」と、以前よりも思うことが多々あります。「今回のお手伝いで少しでも力になれただろうか」。宮城へお戻りになるご家族の車をお見送りしながら、そう思いました。

 

助け合いの心。

常に相手の方を思い、感じ、行動をすること。

日本人としての大切にしている「気づかい」をもっともっと向上させるべく、日々成長していきたいです。


最近なかなか体を動かせていませんが、趣味はボクシングです。

4月で入社3年目の大山智紀と申します。

私は入社から現在まで、葬儀に欠かせない道具や機材を管理するマネージャーとして働いています。

 

仕事内容は主に葬儀の道具・機材のトラックへの積み込み・積み下ろし、そしてメンテナンスです。

この積み込み・積み下ろしは葬儀において基礎であり、また重要なものだと考えています。

 

葬儀で使う道具・機材は多種多様であり、テーブル一つにしても、7種類ほどあります。積み込みの際は、葬儀施行担当のエンディングプランナーが希望する道具・機材のリストを元に揃えていくのですが、最初は覚えるのに苦労しました。

入社して半年が経ったころ、一人で仕事を任せられるようになり、その日もひたすらに積み込みをしておりました。

うち1件のご葬儀では、お寺様が読経で使用されるリンと木柾(もくしょう/日蓮宗で使う鳴り物)を積むことになっていたのです。

 

鳴り物には3種類あり、リン・木魚、そして木柾があり、宗派によって組み合わせが違います。

3種類は全て同じ種類の箱に収納されており、積み込む前、いつもなら中を見て確認していましたが、その日は慣れからくる油断で、箱の名称だけ見て「大丈夫だろう」と思い、確認を怠ったまま積んでしまいました。

 

数時間後、現場の担当から電話がありました。

「リンと木柾を希望したのに、リンじゃなく、木魚が入っているぞ! どうなっているんだ!!」

 

すぐさま、車を飛ばしてリンを現場に持って行き、事なきを得ましたが…激しく叱られたのは言うまでもありません。

 

その日の痛い教訓を経て、確認を怠ることはミスに繋がるとの想いで仕事に取り組んでおります。

 

座右の銘は、「報告・確認を怠らなければ、99%のミスは防げる」

いくらいいご葬儀を行おうとしても、道具や機材がなければできません。

葬儀の道具とはまさに、葬家・担当者の想いを具現化できる唯一のものだと倉庫チームは考えています。

だからこそ粗末には絶対に扱わず、もし破損部分が見つかればすぐに対応しています。

 

倉庫で働くチームのメンバーは、お客様の前に出る事はほとんどありません。しかし、前に出ないからこそ土台の部分で手を抜かず、しっかりお客様のサポートをさせていただいていると考えております。


鳥本です。会社で飼っている愛犬・ルディを拾ってきた里親代表として、最近の寒暖差で彼の体調がちょっと心配です。

はじめまして。エンディングプランナーの鳥本 拓です。

 

アーバンフューネスのお葬式では、さまざまな視点で最適なご提案ができるよう、社内でミーティングを重ね(施行前ミーティングといいます)、複数のエンディングプランナーで協力して葬儀プランを練っています。

 

その結果、ご家族の心残りを解消したり、大切な思い出を最後にもう一度実感していただくために、僭越ながらも、あえてこちらからお品をご用意することもあります。

 

弊社では葬儀当日まで、複数のプランナーで企画・運営内容を話し合うミーティングを何度も重ねます。

 

その一例として、先日お手伝いさせていただいたあるご葬儀をご紹介します。

 

お亡くなりになったのはお父様でした。

仲の良いご家族には2つ、悔いが残ることがあったそうです。

 

一つは、お父様は毎年必ずお正月に氏神様であった神社へ参拝し、破魔矢を買い替えられていたそうですが、今年はご病気のためにそれができなかったということ。

 

そしてもう一つは、あと数カ月で奥様との結婚60年目のダイアモンド婚記念日を迎えられるという時に、ご逝去されてしまったということでした。

 

そのお話を伺い、私はご家族に少しでも2つの後悔を解消できるようなきっかけをつくって差し上げられたら、と考えました。

 

そこで、ご用意させていただいた品物のひとつが、氏神様の破魔矢です。

 

破魔矢はその名称の通り、魔を破り、災厄を祓う矢として信仰されておりますので、お通夜の準備の際、守り刀と同様にお棺の上にそっと置かせていただきました。

 

そして、式場に到着されたご家族がそれに気づかれた際、もう一本ご用意していた破魔矢をお渡しさせていただきました。

 

破魔矢を故人様がなぜ毎年買い替え続けてこられたのか。それはおそらく大切なご家族の安全や幸福を祈願し続けておられたからだと思います。だからこそ、一本は旅立たれるお父様にお手向けし、もう一本はご自宅でお飾りいただけるようにと、お渡しいたしました。

 

 

そしてもう一つの後悔であった、60年目のダイアモンド婚について。

お話を伺っていた時、私は率直に、ご親族全員が集まっている中で、決して派手ではなくとも、60年間力を合わせ、ご家族を守ってこられたご夫婦を称える場を設けさせていただければと思いました。そこで奥様を除くご家族に、あるお願いをしたのです。

 

 

お別れ時、お花入れが終わった後で、奥様にお渡ししたのが、夫婦2人のお写真の横に、ご家族からの感謝や尊敬のメッセージを添えていただいたパネルです。皆様に快くご協力いただき、ご家族の想いがぎゅっとつまったパネルとなりました。こちらも2枚ご用意し、1枚には、奥様から故人様へ愛をこめてメッセージをお書入れいただき、天国へ携えていけるようにとお棺に手向けていただきました。もう1枚のパネルは、奥様がこれからの日々、このパネルを見て少しでも前向きにお過ごしいただけるようにとの願いを込めて、ご自宅用にお渡しいたしました。

 

最後に、担当者としてこのご葬儀をお手伝いさせていただいた私自身の感謝をこめて、愛の形を一厘の赤いバラとして表現し、奥様から故人様へ最後にお手向けしていただこうと、お出ししました。

お花をお渡しした瞬間、『あなたはわたしの心を読めるマジシャンなの!?』と、感激していただけたことが、何よりもうれしかったです。

 

弊社では、そのご家族に合わせた葬儀をお手伝いしています。

インタビューの中で感じたことを、多角的な目線で掘り下げて形にすることの大切さを、身をもって体験させていただいたご葬儀でした。

 

 


村重です。高校・大学と7年間独学でピアノを学びました。得意な曲は坂本龍一の『戦場のメリークリスマス』です。

ご葬儀をお手伝いしているエンディングプランナーの村重匡聡です。

 

お見送りの仕方。それはご家族によってさまざまですが、特にご夫婦らしい雰囲気を、肌で感じられた1件のご葬儀がありました。

 

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故人様は、非常におきれいで、まだお若い奥様でした。

ご夫婦ともに関西のご出身。とても気さくな仲の良いご夫婦だったと、インタビューからもうかがい知る事ができました。 奥様はもともとスポーツが好きな行動派で、芯のとてもしっかりした明るい方だったそうです。

 
「彼女らしいピンクの花でめいっぱいにしてあげたい」と豪華な花祭壇を希望されたほかは、「特に変った事はせんでもいいから」と笑顔でおっしゃるご主人様。胸中を察すれば、当然のことなのかもしれません。
 

お話をしながら、ご家族で一緒に思い出を振り返っていきました。

そこで痛切に感じたのは、ご夫婦で過ごした素敵な思い出はたくさんあったものの、ここ数年のつらい闘病生活が、ご主人の中から何気ない日常の記憶を押しやってしまっていたということです。

 

「思い出してみれば、元気な時はコーヒーが好きだったよね」

「そうよ、フランスパンも大好きだったじゃない」

 

ご家族からそんなエピソードをお伺いするうちに、ご主人様も「そういえば、そうだったな」「渋谷によく行ってたパン屋があったな。名前は…」と、と一つひとつ懐かしそうに思い起こしておられました。

 

「このご葬儀では、闘病中の奥様より、活動的で美しく、生き生きとしていた姿を思い出し、お別れをしていただくことが大切なのではないか」

 

そんな風に考えていると、ふとご主人様から、こんなご要望をいただきました。

 

 「松田聖子の『赤いスイートピー』をかけてあげたい」

 

歌を口ずさみながら「この曲の歌詞と雰囲気ってええやろ?」とうれしそうにお話される喪主様が印象的で、それを聞いたご家族全員が笑い出し、温かい空気に包まれました。

 

私は会社に帰り、『赤いスイートピー』を聴き直してみました。

スイートピーには「門出」「優しい思い出」という花言葉もあるそうです

♪春色の汽車に乗って 海に連れて行ってよ

 

タバコの匂いのシャツに そっと寄りそうから

 

何故 知りあった日から

半年過ぎても あなたって

手も握らない 

 
 

とてもご主人様らしい曲のように感じました。

そして私には、お2人がデートする姿がイメージできたような気がしたのです。

 

また、ご主人様が店名を思い出してくださったパン屋さんに行ってみると、一つひとつに美学をお持ちだった奥様らしいこだわりのお店で、ここでもお2人仲良く立ち寄る姿が思い浮かびました。私は、奥様が大好きだったというフランスパンを購入しました。

 

迎えた告別式当日。外はあいにくの雨でした。

思い出の品として、唯一お借りしたお2人の結婚式のお写真の前には、花嫁姿の奥様が手に持っていたブーケを生花で再現し、お飾りしました。

 

そしてご長男様にお願いして、お母様へ捧げるコーヒーを淹れていただいた時、あのフランスパンをお渡しし、供えていただけるようご案内しました。お店の名前とその存在が、ご主人に、元気だった頃の奥様の記憶を呼び起こしてくれるように祈りながら。

最後のお花入れの時、『赤いスイートピー』をお流しすることを確認したところ、ご主人は「そうやったな、そうや、そうや」と、嬉しそうに言ってくださいました。喪主挨拶では、こちらの心も芯まで温まってしまうほど、ご主人様の想いが伝わってきたことを覚えています。

そしてその時が来ました。

 

「ご出棺です」

 

『赤いスイートピー』が流れ、歌詞と共に、自然とご主人様の送る思いが伝わってくるようでした。

驚いたことに外は雨から変わり、雪が舞う中を、ちょうどこのフレーズにのせて、奥様をお連れいただくことになったのです。

 

♪I will follow you

あなたに付いてゆきたい

I will follow you

ちょっぴり気が弱いけど 素敵な人だから

 

心の岸辺に咲いた 赤いスイートピー

 

とても素敵で、やっぱりちょっと悲しげな瞬間でした。

私がすべてのご案内を終え、式場を出た頃には雪も止み、美しく輝く夕焼け雲が迎えてくれました。それを眺めながら、奥様の気持ちに触れることができた気がして、今でも忘れられません。

 

雪は想定外でしたが、あの雪があったからこそ、奥様は旅立つことができ、ご主人様のすがすがしい「よかったで、あれ」というお言葉にもつながったような気がします。


横内です。現在は吉岡など、先輩エンディングプランナーとともに葬儀をお手伝いしております。

エンディングプランナーとしてご葬儀をお手伝いしている横内人士です。

先日、弊社でもはじめてのケースとなった、葬儀の「インターネット中継」をお手伝いさせていただきましたので、ご紹介いたします。

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病院で息を引き取られたのはお父様。お母様とお子様3人の5人家族でした。

男兄弟の中で唯一の女の子であったご長女様には怒ったこともなく、優しいお父様だったそうです。

その愛を受けて、ご長女様も優しく明るい女性に育ち、家族にとってなくてはならない存在となりました。

 

そのご長女様は今ご家族とともにヨーロッパにお住まいです。

2日後に控えた、大好きだったお父様の葬儀。

しかしお子様の病気のため、帰国することがどうしても叶わない状況でした。

 

ご長女様も諦めて、お父様への言葉をメールでご兄弟に送り、それを葬儀中に読んで欲しいとお願いされていました。

 

しかし我々には疑問が残ったのです。

メッセージの代読で、ご長女様の本当の想いは伝わるでしょうか?

帰国されたときにすでにご遺骨になっている大好きなお父様を前に、悔いは残らないでしょうか?

 

そんな想いを絶対にしてほしくない。絆が深いご家族ですからなおさらのことです。

 

お打合せの夜、マイナス9時間のその国では朝の時間に、直接ご長女様と電話でお話しさせていただきました。

「ご葬儀にインターネットテレビ電話で参加していただけませんか?」

 

・時差の問題

・機材の問題

・インターネット回線の問題

 

初の試みでありましたので課題はたくさんありました。

 

事前に娘さんと回線のテストをさせていただき、カメラと音声が繋がることを確認。

インターネット回線に多少の支障がありましたが、告別式当日までに何とか対応することができました。

 

そして迎えた、告別式の日。

せっかくの海外からの参列ですので、開式前から回線をつながせていただきました。

久しぶりにお会いするご親族の方もいらっしゃったので会話も弾んでおられました。

 

式場が見渡せる場所に、Webカメラ付きのPCを設置。

そのまま開式し、御坊様のお勤めも一緒に参加していただきました。

 

そして、ご出棺前のお別れの儀、お花入れの儀には、お父様と会場全体が見渡せる位置にWebカメラを移動し、初めに直接ご長女さまから会場と、お父様に向けてお別れの言葉をいただきました。

 

 

参列できなかったお詫びと、お父様の思い出、お父様へのお別れの言葉。

スピーカーを設置してありましたので、ご長女さまのお言葉は、会場とお父様にしっかりと届きました。

 

Web会議用マイクスピーカー(星形の機器)で式場の音声を拾い、娘様・お孫様の声も皆様にお届けしました。

最期に、ご長女様からのリクエストでご用意した、青いお花のブーケをお手向けし、ご出棺までお見送りされました。

 

ご葬儀を終えて、ご家族にいただいた「長女が参列できてよかった」というお言葉。

また、ご長女様からもメールで、「諦めていましたが、父を見送ることができた気がします」とお言葉をいただくことができました。

 

 

その方の最後の時に、しっかりと想いを伝え、

その方の想いを受け継ぐ場。

お葬式とはそんな「命をつなぐ」時間なのではないでしょうか。

 

色々なご事情で参列がかなわない時もあるかと思いますが、

できる限りの最善を尽くし、命をつなぐご葬儀のお手伝いがこれからもできればと思います。

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  ※式場でのお写真は、ご家族の許可をいただき、掲載させていただいております。


西葛西セレモニーホール

葬儀社アーバンフューネス

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私たちお葬式の専門家がお手伝いすることで、皆様のご葬儀に対する疑問や不安が少しでも解消され、安心してご葬儀を行われることを願っております。